歴史

日産労連の歴史

 第二次世界大戦が終わった1945年(昭和20年)以降、占領軍の民主化政策にそって、労働組合が次々につくられるようになりました。自動車産業に働く人々は1948年3月に「全自動車」という産業別組合を結成し、日産自動車の労働者も「全自動車日産分会」として参加しました。しかし、不幸なことに、この組合は職場闘争や無期限ストなど無謀な闘争をくりかえしたため、生産はストップし、職場は荒れ果て、賃金カットなどで働く者たちは苦しい日々を強いられることになりました。

 やがて、こんなことでは働く者の生活は守れないと考えた人たちによって、新しい組合づくりがはじまりました。そして1953年8月30日に「日産労組」が結成され、止まっていた生産もようやく再開。結成1年後には、ほとんどの人が「日産労組」に加入したため、1954年に「全自動車」は解散に追い込まれました。

 「日産労組」は、関連する販売会社や部品メーカーに働く人たちと一緒に一つの組織をつくる努力を重ね、1955年1月23日に「自動車労連」を結成しました。その後、「自動車労連」は日産グループを中心に組織を拡大し、活動の幅を広げながら、自動車メーカー、販売会社、部品メーカー、輸送会社、それに一般業種の仲間も加えて、業種別組合の連合体へと発展しました。

自動車労連の結成大会(1955年1月23日)

 1989年(平成元年)11月、わが国労働界の長年の懸案であった全国組織の統一が「連合」の結成(1989年)となって実現し、自動車産業に働く仲間も「自動車総連」を通じてそれに加盟しました。

 これを契機に、1989年(昭和64年)1月1日から「自動車労連」という名称を「全日産・一般業種労働組合連合会」(日産労連)に改めました。

 2025年(令和7年)1月、結成70周年という大きな節目を迎えた「日産労連」は、これからも確かな未来に向け、時代認識を共有しながら、職場原点を忘れることなく、新たな時代への挑戦を続けています。

日産労連のあゆみ

1950年代

1953年(S28)5月全自動車日産分会「百日闘争」に突入
8月日産自動車労働組合(日産労組)結成
1954年(S29)3月自動車労連結成準備会 発足
1955年(S30)1月自動車労連(日本自動車産業労働組合連合会/現・日産労連)結成
1956年(S31)5月日本生産性本部に加盟
6月全労会議(全日本労働組合会議)に加盟
7月ICFTU(国際自由労連)に加盟
1957年(S32)6月民生ディーゼル労組(現・UDトラックス労組)、産別全金属を脱退自動車労連加盟
10月「第1回労働講座」を開催
12月新日国労組(現・日車労組)、自動車労連に加盟

1960年代

1960年(S35)9月業種別協議会を連合体化し、業種別連合体(販売、部品製造)が発足
民間統合労働組合連絡協議会を設置
組合基金を創設
1961年(S36)11月自動車製造労協(日産労組、新日国労組、日デ労組)が単一化し「全日産自動車労働組合」を発足
1962年(S37)4月全労会議、総同盟、全官公で「同盟」結成
1963年(S38)10月民労が単一化し「民間統合労働組合」発足
1964年(S39)7月「第1回青年祭」を開催
9月「第1回文化祭(現・文化展)」 を開催
10月自動車労連会館(現・ゆうらいふセンター)が竣工
11月販労(連合体)が単一化し「全日本自動車販売労働組合」を発足
12月第1回氷雪の集い
1965年(S40)3月部労(連合体)が単一化し「全日本部品製造労働組合」を発足
4月自動車労連・地方協議会が発足
5月日産・プリンス合併覚書調印(1966年8月合併)
6月「第1回体育祭」を開催
8月自動車労協結成愛知機械労組、総評全金を脱退、自動車労連に加盟
1966年(S41)4月プリンス自工労組が総評全金を脱退
7月プリンス自販労組が自動車労連に加盟
10月日産プリンス部門労組が自動車労連に加盟
1967年(S42)4月IMF-JCに正式加盟
6月日産プリンス部門労組が日産労組と組織統合
12月「総合共済制度」を発足
1968年(S43)7月参議院議員選挙で田渕哲也氏が初当選

1970年代

1970年(S45)3月日産サニー協議会が結成
4月日産プリンス協議会が結成
1971年(S46)6月参議院議員選挙で栗林卓司氏が初当選
1972年(S47)7月自動車労連教育センター(セミナーハウスゆうらいふ御殿場)竣工
10月自動車総連 結成
1973年(S48)9月IMF日産世界自動車協議会が結成
1976年(S51)1月「火災共済制度」を発足
「福祉基金」を創設
12月福祉施設の児童を招待し「第1回チャリティー公演」を開催
1977年(S52)8月FIET(国際商業事務専門職技術労連・現UNI)に加盟
1978年(S53)4月「生命共済制度」を発足
1979年(S54)1月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が初当選
3月定年退職組合員制度(現・エルダークラブ)を発足
7月志摩保養荘(ゆうらいふ志摩)竣工
10月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が2期目当選
11月「第1回定年組合員総会」を開催
チェリー部会が結成

1980年代

1980年(S55)6月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が3期目当選
1981年(S56)12月国際障がい者年にあたり、総理大臣より「功労者表彰」を受賞
1983年(S58)7月「定年組合員共済制度」を発足
「遺児年金制度」を発足
12月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が4期目当選
1984年(S59)8月国際協力事業団より「国際協力功労賞」を受賞
1985年(S60)12月「共済組合」を発足
10月自動車労連会館新館が竣工
11月福祉基金事業部を発足
12月販労と直接加盟組合の販売部門(日産プリンス協議会、サニー協議会、チェリー部会)とで販売労組協議会(販労協)を結成直接加盟組合の製造部門で直括連絡会発足
1986年(S61)7月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が5期目当選
1987年(S62)4月「無料法律相談制度」を開設
10月「雇用対策基金」を設立
11月「同盟」解散「民間連合」発足
1988年(S63)1月「ホームヘルパー制度」を開設
11月「メンタルヘルス相談室」を開設
12月全日産労組組織改編(日産、日デ、日車、厚木部品の企業単位労組を設置)
1989年(H1)1月自動車労連から「全日産・一般業種労働組合連合会」(日産労連)に名称変更
7月参議院議員選挙で寺崎昭久氏が初当選
10月販労協を単一化し「全日産販売労働組合」(日産販労)発足
12月「連合」発足

1990年代

1990年(H2)1月全日本部品製造労働組合が組織改編し「部品関連労働組合」(部労)に名称変更
1992年(H4)10月介護・健康相談サービスの新設
1993年(H5)1月リック事業部発足、葬儀共済の新設
3月リック住宅情報サービス、リックトラベルサービスの新設
7月ログビレッジ高湯の開設
1995年(H7)7月参議院議員選挙で寺崎昭久氏が2期目当選
1996年(H8)1月リック無料職業紹介所の開設
10月参議院議員選挙で玉置一弥氏が6期目当選
1998年(H10)7月参議院議員選挙で浅尾慶一郎氏が初当選
1999年(H11)11月日産労連と日産自動車、初の労使会議開催
(同年3月、日産・ルノーが資本提携)

2000年代

2000年(H12)6月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が7期目当選
11月日産労連とルノー関連労組(FO、CFDT)との第1回定期会議開催
2001年(H13)5月「チャリティーきゃらばん」公演1,000回を突破
2003年(H15)8月全日産労組 結成50周年
11月衆議院議員選挙で玉置一弥氏が8期目当選
2004年(H16)2月特定非営利活動法人 日産労連NPOセンター「ゆうらいふ21」設立
2005年(H17)1月日産労連 結成50周年
9月日産労連の新たな組織形態運営の移行により 5ブロック形態へ
全日産労組・民労・直括連絡会が解散
11月福祉基金創設30周年
クリスマスチャリティー公演100万人突破
2008年(H20)1月「ホームヘルパー制度」が終了
2009年(H21)3月「ログビレッジ高湯」が閉鎖

2010年代

2010年(H22)9月日産労連組織運営見直し 地域本部形態へ移行
日産労連ワールド・ジョイント・セミナー開催(参加:9ヶ国 18名)
2011年(H23)2月第1回発達しょうがい児と家族のためのウィンターキャンプ開催
3月東日本大震災に伴う救援物資や人的ボランティア、カンパ金の実施
<66,232,363円 (4月21日付)>
7月「チャリティーきゃらばん」公演2,000回を突破
演目「アラジン」
2012年(H24)1月玉置一弥参議院議員繰り上げ当選
9月日産労連 教育方針策定
2013年(H25)3月ゆうらいふ志摩を売却
運営事業社を「アイ・ジェイ・サポート(有)」に変更
7月参議院議員選挙で礒﨑哲史氏が初当選
2014年(H26)12月リックマスコットキャラクター「リックリッキー」誕生
2015年(H27)1月日産労連 結成60周年
2016年(H27)4月熊本地震被災地へボランティア派遣、応援メッセージ、カンパ金の実施
<23,423,511円 (8月29日付)>
7月参議院議員選挙で自動車総連組織内候補 浜口誠氏が初当選
10月「チャリティーきゃらばん」公演3,000回を突破
演目「ホンザときつね」
2017年(H29)8月日産労連との一体運営に向けて部労解散
11月クリスマスチャリティー公演(新潟)1,000回突破
2019年(R1)7月参議院議員選挙で礒﨑哲史氏が2期目当選

2020年代

2021年(R3)6月ゆうらいふセンター建替えにより芝パークビルへ仮移転
12月セミナーハウス「ゆうらいふ御殿場」閉所
2022年(R4)7月参議院議員選挙で自動車総連組織内候補 浜口誠氏が2期目当選
2023年(R5)3月日産労連 広報ナビゲーター「ナビィ」誕生
2024年(R6)3月日産労連会館(ゆうらいふセンター)新社屋竣工
3月能登半島地震に伴うカンパ金の実施
<15,282,128円 (3月1日付)>
2025年(R7)1月日産労連 結成70周年
7月参議院議員選挙で礒﨑哲史氏が3期目当選